毎年恒例の問題化? 国旗・国歌の話
2006年 03月 01日
エキサイトのニュースにありました。共同通信社の配信記事(2月23日)です。
「「強制やめて」保護者訴え 卒業式の日の丸君が代」
この時期になると、必ず問題化するこの話。
教師たちが「内心の自由の侵害だ!」と叫んでも効果が無いせいか、生徒や保護者という“援軍”を用意してきましたね。
果たして、その“援軍”は有効でしょうか?
51歳女性の「娘は君が代を歌いたくないが」。
その理由を是非、娘さんご本人から伺ってみたいものです。何と仰るのでしょうか?
「日の丸は、軍国主義の象徴だから」。
どうしてそう思うんですか?
「先生から、そう習ったから」。
これでは、意味が無いですね。
「処分されないかと心配している」その先生の言うことが絶対に正しいという前提ですが、その先生の言うことがそもそも間違っていますから(笑)
高3女子「何も説明なしに、君が代を歌うことを強制されても理解にはつながらない」。
つまりそれは、「国旗国歌の意義」を先生が教えていないと言うことですね。
「学習指導要領に従っていない」教師は、単に職務怠慢なだけです。はい処分対象に決定(笑)
そもそも、国旗・国歌とは何でしょう?
フランス革命で成立した「フランス共和国」が最初ですが、現在の国際社会で主流になっているのが「近代国民国家」。
結婚の持参金として持っていける「王様の持ち物の領土と人民」でも、税を払って便宜を受けるだけの「皇帝の威光の届く範囲」でもなく、明確な国家主権と領土と国民としての意識を備えた国家、それが「近代国民国家」です。
その「国家」という概念を人の五感で認識する際には、何がしかの印が要ります。
その印として、目で見て認識するためのものが「国旗」、耳で聞いて認識するためのものが「国歌」です。
「国旗」と「国歌」は「国家」を象徴するものとして、「近代国民国家」間の儀礼で使われるようになりました。
もちろん、A国がB国の象徴として「C」という歌を認識していても、B国の国民が「C」を自分の国の歌と認識していなければ、A国がB国に「C」を演奏して敬意を表しても、B国の国民は敬意を表されているとは判りません。
ふとした誤解から、B国の国民がA国に敵意を持ち、国際問題となる可能性もあります。
ですから、B国の国民は自分の国の歌が「C」であることを知らなければなりません。
もちろん、その由来も。
それが国民に国旗・国家を教えることの重要性です。
日本は、明治維新によって「近代国民国家」の仲間入りをしました。
その際、国際儀礼で使うための、日本という国を象徴する国旗と国歌が必要となりました。
その時に国旗としたのが「日の丸(日章旗)」、国歌としたのが「君が代」です。
それ以来、「日の丸」と「君が代」は「日本」という国を象徴する旗・歌として、国際的に認知されています。
つまり、「日の丸」が日本の国旗、「君が代」が日本の国歌というのは、日本国内を含めて「国際的な決まり事」なのです。
日本人が訪問した外国で日の丸が振られるのは、日本人に対する友好を表すものですし、日の丸を踏んだり裂いたり燃やしたりするのは、日本と日本人に対する不満や敵意や侮蔑感情の表れです。
その「決まり事」を守るのは、当然のことでしょう。
「日の丸」と「君が代」は“軍国主義の象徴”、という“反戦平和主義者”の皆さんがいます。
「日の丸」が国旗扱いされるようになったのは明治3年(太政官布告)、「君が代」が国歌とされたのは明治2年に大山巌によってと言われています。
「日の丸」はフランス(一節ではイギリス)が、そのデザインを500万円で買いたいと当時の明治新政府に申し出たり、「君が代」は明治36年に行われた「世界国歌コンクール」で一等を取ったりと、欧米のセンスとは一味違う優れたものと評価されてきました。
その国旗・国歌が“軍国主義の象徴”?
明治新政府が生まれたその時既に、日本は“軍国主義”だったのでしょうか?
そんなことはありません。
日本が近代国民国家の仲間入りをしてから現在まで、「日の丸」は日本の国旗として、「君が代」は日本の国歌として、“軍国主義”の時代 も 含めてあり続けてきました。
ナチ党の旗を国旗としたナチスドイツとは異なり、「日の丸」も「君が代」も特定の時代のものではないのです。
一時期だけ“軍国主義国家・日本”を象徴していたからといって、代案も無しに「日の丸」「君が代」に反対する根拠とは、いったい何でしょうか?
“反戦平和主義者”の皆さんに、情緒的でなく理論的に、その理由を聞いてみたいものです。
【3月5日追記】
非公開のままにして忘れていたので、今頃ですが公開します。
ああ、ますます鮮度が落ちてしまった(苦笑)
【3月6日追記】
この問題に、スポーツに携わる立場から意見を出されている方↓がいらっしゃいますので、リンクします。
◆「Whatever tomorrow brings(裏)」の2月24日のエントリー
またこのニュースについて、“保護者”から出された要望書等の内容が、ブログ「特定アジアニュース」の2月24日のエントリーで紹介されています。
彼らは、こういうことを言っているんですね。
その中の一つ「◆Y校長への手紙◆」の中に、次の一節が出てきます。
「「強制やめて」保護者訴え 卒業式の日の丸君が代」
卒業式シーズンを前に、東京都立高31校に通う生徒の保護者らが23日、東京都教育委員会に「日の丸・君が代を強制せず、内心の自由を保障した式にしてほしい」とする要請書を提出した。何か昨年も、この記事を読んだ気がします。デジャブ(既視感)?
都教委の担当者は「学習指導要領に基づき国旗国歌の意義を理解させる必要がある」などと説明。同席した都立高3年の女子生徒(18)は「何も説明なしに、君が代を歌うことを強制されても理解にはつながらない」と訴えた。
3年の娘が都立高に通う女性(51)は要請後の記者会見で「娘は君が代を歌いたくないが、大好きな担任がそのことで処分されないかと心配している」と話した。
この時期になると、必ず問題化するこの話。
教師たちが「内心の自由の侵害だ!」と叫んでも効果が無いせいか、生徒や保護者という“援軍”を用意してきましたね。
果たして、その“援軍”は有効でしょうか?
51歳女性の「娘は君が代を歌いたくないが」。
その理由を是非、娘さんご本人から伺ってみたいものです。何と仰るのでしょうか?
「日の丸は、軍国主義の象徴だから」。
どうしてそう思うんですか?
「先生から、そう習ったから」。
これでは、意味が無いですね。
「処分されないかと心配している」その先生の言うことが絶対に正しいという前提ですが、その先生の言うことがそもそも間違っていますから(笑)
高3女子「何も説明なしに、君が代を歌うことを強制されても理解にはつながらない」。
つまりそれは、「国旗国歌の意義」を先生が教えていないと言うことですね。
「学習指導要領に従っていない」教師は、単に職務怠慢なだけです。はい処分対象に決定(笑)
そもそも、国旗・国歌とは何でしょう?
フランス革命で成立した「フランス共和国」が最初ですが、現在の国際社会で主流になっているのが「近代国民国家」。
結婚の持参金として持っていける「王様の持ち物の領土と人民」でも、税を払って便宜を受けるだけの「皇帝の威光の届く範囲」でもなく、明確な国家主権と領土と国民としての意識を備えた国家、それが「近代国民国家」です。
その「国家」という概念を人の五感で認識する際には、何がしかの印が要ります。
その印として、目で見て認識するためのものが「国旗」、耳で聞いて認識するためのものが「国歌」です。
「国旗」と「国歌」は「国家」を象徴するものとして、「近代国民国家」間の儀礼で使われるようになりました。
もちろん、A国がB国の象徴として「C」という歌を認識していても、B国の国民が「C」を自分の国の歌と認識していなければ、A国がB国に「C」を演奏して敬意を表しても、B国の国民は敬意を表されているとは判りません。
ふとした誤解から、B国の国民がA国に敵意を持ち、国際問題となる可能性もあります。
ですから、B国の国民は自分の国の歌が「C」であることを知らなければなりません。
もちろん、その由来も。
それが国民に国旗・国家を教えることの重要性です。
日本は、明治維新によって「近代国民国家」の仲間入りをしました。
その際、国際儀礼で使うための、日本という国を象徴する国旗と国歌が必要となりました。
その時に国旗としたのが「日の丸(日章旗)」、国歌としたのが「君が代」です。
それ以来、「日の丸」と「君が代」は「日本」という国を象徴する旗・歌として、国際的に認知されています。
つまり、「日の丸」が日本の国旗、「君が代」が日本の国歌というのは、日本国内を含めて「国際的な決まり事」なのです。
日本人が訪問した外国で日の丸が振られるのは、日本人に対する友好を表すものですし、日の丸を踏んだり裂いたり燃やしたりするのは、日本と日本人に対する不満や敵意や侮蔑感情の表れです。
その「決まり事」を守るのは、当然のことでしょう。
「日の丸」と「君が代」は“軍国主義の象徴”、という“反戦平和主義者”の皆さんがいます。
「日の丸」が国旗扱いされるようになったのは明治3年(太政官布告)、「君が代」が国歌とされたのは明治2年に大山巌によってと言われています。
「日の丸」はフランス(一節ではイギリス)が、そのデザインを500万円で買いたいと当時の明治新政府に申し出たり、「君が代」は明治36年に行われた「世界国歌コンクール」で一等を取ったりと、欧米のセンスとは一味違う優れたものと評価されてきました。
その国旗・国歌が“軍国主義の象徴”?
明治新政府が生まれたその時既に、日本は“軍国主義”だったのでしょうか?
そんなことはありません。
日本が近代国民国家の仲間入りをしてから現在まで、「日の丸」は日本の国旗として、「君が代」は日本の国歌として、“軍国主義”の時代 も 含めてあり続けてきました。
ナチ党の旗を国旗としたナチスドイツとは異なり、「日の丸」も「君が代」も特定の時代のものではないのです。
一時期だけ“軍国主義国家・日本”を象徴していたからといって、代案も無しに「日の丸」「君が代」に反対する根拠とは、いったい何でしょうか?
“反戦平和主義者”の皆さんに、情緒的でなく理論的に、その理由を聞いてみたいものです。
【3月5日追記】
非公開のままにして忘れていたので、今頃ですが公開します。
ああ、ますます鮮度が落ちてしまった(苦笑)
【3月6日追記】
この問題に、スポーツに携わる立場から意見を出されている方↓がいらっしゃいますので、リンクします。
◆「Whatever tomorrow brings(裏)」の2月24日のエントリー
またこのニュースについて、“保護者”から出された要望書等の内容が、ブログ「特定アジアニュース」の2月24日のエントリーで紹介されています。
彼らは、こういうことを言っているんですね。
その中の一つ「◆Y校長への手紙◆」の中に、次の一節が出てきます。
昨年から言い続けているように卒業式には参加者全員に「日の丸、君が代」 を強制することがないようにしてほしいと願っています。天皇も発言しているとおり「国旗、国家」は強制するものではないと思います。天皇陛下のお言葉を利用して自分を正当化しようとしていますが、天皇陛下を敬う言葉遣いをしていない時点で「利用できるものは何でも使う」という姿勢が見えてきて、実に嫌な感じです。
by Hi-Zettaisha
| 2006-03-01 22:07
| 歴史・伝統・文化