世の中のいろいろなことに対して、少しばかり主張してみます。


by Hi-Zettaisha
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東京大空襲の教訓は「反戦平和」だけ?

一昨日、3月10日は61年前、「東京大空襲」があった日です。
昭和20年3月10日未明、米軍のB-29戦略爆撃機344機の大編隊が「帝都」東京を襲いました。
それまでの「戦略目標を狙った、高高度からの昼間爆撃」ではなく、「都市を効率的に焼き払うための、低高度からの夜間爆撃」でした。
焼夷弾のみを大量に投下したこの爆撃で、現在の江東区・墨田区・台東区にまたがる広い範囲が灰塵に帰し、10万人を超える人々の命が失われました。
これを皮切りに、日本全国の都市が次々と焼き払われていくこととなります。

第一次世界大戦(欧州大戦)で、フランス軍の飛行機がツェッペリン飛行船の格納庫に爆弾を投下して以来、航空機からの爆撃は数限りなく行われてきました。
戦場で、味方地上部隊の行動を支援するために、敵軍の陣地等を爆撃するのが「戦術爆撃」。
それに対して、
  • 敵国国民の士気の低下を狙い、都市に爆弾を落として恐怖を与え威嚇する
  • 敵国政府の戦争を続ける意志を挫くため、首都(政府所在地)を攻撃する
  • 敵国の戦争遂行能力を奪うため、鉄道等のインフラ(基幹施設)、軍事施設や兵器工場等を破壊する
これらは「戦略爆撃」と呼ばれます。
物理的効果と共に、心理的効果を狙った攻撃方法です。
ピカソが『ゲルニカ』で描いた爆撃、支那事変での日本海軍の重慶爆撃、ドイツ空軍の総力を挙げたロンドン空襲はこの「戦略爆撃」に該当します。

しかし「東京大空襲」は、前月に行われた英米軍のドレスデン(ドイツが無防備都市を宣言していた、ドイツ東部の都市)夜間爆撃と同様、「都市を消滅させ、敵国国民を抹殺する」ことを目的とした完全な無差別都市爆撃であり、「恐怖を与え威嚇」のレベルをはるかに超えたものでした。
近代国民国家の要素である「主権・領土・国民」の一つ「国民」を失わせることで、国家そのものを存亡の危機に追い込み、屈伏させることを狙ったのです。
カーチス・エマーソン・ルメイ陸軍少将が第21爆撃軍団に実行させたこの作戦は、「空襲」の概念を一変させました。
日本人の思い浮かべる「空襲」は、今でもこの「東京大空襲」のイメージ、絨毯爆撃のイメージでしょう。

その「東京大空襲」について、多くのブログが話題として取り上げていました。
実際に経験した方の体験談、家族や親戚、付き合いのある方から伺った話、アメリカへの敵意を語ったもの、「反戦平和」を主張するためのテキスト…。
いろいろな文を読むことができ、有益でした。これもブログのいいところでしょう。

ただ、不思議に思ったことが一つ。
小林よしのり氏が『戦争論』で描いたように、アメリカの人種差別意識が露呈した非人道的な戦争犯罪だ、と告発する文はあります。
悲惨な体験だった、だから戦争はいけません、と「反戦」に誘導するものは多いです。ここのように。
しかし、「なぜ東京府民を爆撃から守れなかったのか」を問うたエントリーはほとんど、いや読んだ限りでは全くありませんでした。
国家の責務の一つが、国民の生命・財産を守ることです。
その責務が果たせなかったのはなぜなのか、非常に重大な問題のはずなのですが、誰も触れないのはなぜでしょう?。
ちょっと考えただけでも、シェルターを準備すべきだったとか、強固なレーダー網を構築すべきだったとか、思い付きそうなものです。
日本は、果たして「国民を守れなかったこと」を反省したのでしょうか?

「軍隊は国民を守らない」「憲法9条を守れば平和だ」「日本の平和は軍事力以外で守る」、そう仰る方は多いですね。
では、戦争さえ無ければ、日本に軍隊が無ければ、「帝都」東京は空襲を回避できたのでしょうか?
私は、そうは思いません。
軍事力の行使は、あくまでも相手国の都合によります。
日米が戦争状態でなくても、アメリカが自国の利益のために日本に空襲を行う可能性は、“フライングタイガース”の例を見ても判るように間違いなくありました。
そう考えれば、東京大空襲の教訓は「反戦平和」だけではないはずです。

日本の迎撃機が上昇できない高度を飛行できるB-29“スーパーフォートレス”爆撃機は、ある意味で「絶対兵器」に近い存在でした。
現代の日本で「絶対兵器」として脅威となっているもの、それは弾道ミサイルです。
日本が相手国を攻撃しなくても、相手国が弾道ミサイルを撃ち込む可能性はあります。
弾道ミサイルを撃ち落とすことは技術的に無理かもしれません。
だからと言って「撃ち落とす研究をすることは無駄だ。やめろ」というのは、国家は国民を守る必要が無いと言っているのに等しいのではないでしょうか。

“平和主義者”の皆さんが仰る通り、日本国憲法第9条を完全実施して日本が無防備になったらどうなるでしょう?
どこかの国が何らかの意図で日本を空襲しようとしたら、それを防ぐ術は何もありません。
「反戦」を唱えても、住民を守ることはできないのです。
住民を守るためには、そのための手段が必要です。
それが軍事力です。決して「反戦平和」を唱えることではありません。

3月10日の諸エントリーを読んで、感じたことでした。

【3月14日 追記】
今日もテクノラティで「東京大空襲」を検索してみました。
私のエントリーにそのまま答えているようなブログ↓を見つけたので、備忘録も兼ねてご紹介。
◆『泥舟海軍 出雲鎮守府』の3月11日のエントリー
こういう考え方もありますね。
その他はやはり、「非戦の誓い」とか「日本もアジアに酷いことをした」とか「日本の戦争指導者の責任」とか。
その中で、少しばかり毛色の異なっているのがここ↓
◆『母親で良かった!★母親だからできたこと。』の3月11日のエントリー
「テロもそうだけど、じっさいに子供の命の危険を感じたとき、冷静な判断で子供を守りきれるんだろうか?」
“反戦”という理想を追う言葉を並べるより、はるかに真剣な態度ではないでしょうか。
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by Hi-Zettaisha | 2006-03-12 23:41 | 歴史・伝統・文化