世の中のいろいろなことに対して、少しばかり主張してみます。


by Hi-Zettaisha
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反国旗・国歌ヒステリー

独裁制をぶっこわそう!戦争・軍国ヒステリーを人類の叡智と良識で克服しよう!』という名前のブログがあります。
タイトルが「独裁制をぶっこわそう」ですから、ブログ主はこの日本に既に独裁制が成立していると認識されているのかな? と思って読んでみました。
すると「独裁が 選挙の後に 待っていた……とさせないために」とあります。
では今現在の日本は独裁制ではないのですね。
「ぶっこわそう」とは、既にできているものに対して向けられる言葉なのに、変ですね
他の国にも向けられた、普遍的な言葉でしょうか?
かと思ったら、「日本の民主化のために」ともあります。
普通選挙で国会議員を選出する、現在の日本は民主主義国家ではないようです。
それにしては“特定アジア”を含めた、世界の独裁制国家については特に言及されていません。
うーん、良く判りませんねぇ。
ブログ主の考え方が、私の考え方と相容れないことは間違い無さそうですが。



さて、今日の本題です。
このブログタイトルから思い付いたのが、
「無政府主義者の教育支配をぶち壊そう! 反国旗・国歌ヒステリーを日本人の叡智と良識で克服しよう!」
という言葉。
このニュースを読んでの感想です。
◆東京新聞 3月23日「特報」面
教員むしばむ『君が代神経症』
 クリスチャンとして、「君主」を讃(たた)える歌を歌うことができないと考える男性教員の場合は、不起立したことで減給、異動といった不利益や、「再発防止研修」を受ける立場になった。自分の将来について、次の卒業式まで何とか持つのだろうかという不安感を持つ。一番の心配は、自分で自分の命を絶つのではないかとの思いで、「首をつっているイメージが浮かんでくる」という。
【中略】
 音楽教員の女性は、「10・23通達」以降は「歩いていても『君が代』が聞こえてくる」ようになった。卒業式でピアノ伴奏をする音楽教員は、特に生徒に斉唱強制を促しかねない“加害者”の立場にもなりうる。
 女性教員は、音楽準備室に入り込んでくる虫(カメムシ)が「都教委に見え、見張りに来たと感じる」ような思いに襲われる。
◆東京新聞 3月25日「特報」面
『君が代』反対元教諭は 『強制の怖さ気付いて』
 「大学は働きつつ夜間に通っていたんですが、病気をして最終学年では学費が払えなかった。それを聞いた先生は、退職していて余裕もなかったろうに三十万円をポンと貸してくれた。頑張れとか、お前のことを思っている、とか言葉だけならだれでも言える。しかし、藤田先生はいつもそれを行動で示す人だった」
 学校式典での日の丸、君が代での起立、斉唱は「内心の自由」だった。だが、東京では「国旗掲揚、国歌斉唱の適正実施」を柱にした二〇〇三年の都教委「10・23通達」で崩された。通達は職務命令に等しい。都立校では、不起立などを理由に停職や戒告、減給など教員三百人以上が処分されている。
【中略】
 ◆メモ <板橋高校事件>
 2004年3月、都立板橋高校の卒業式で、来賓として出席していた同校元教諭、藤田勝久被告が「君が代」斉唱強制に反対し、保護者に着席を呼びかけるなど、混乱を招いたとして、威力業務妨害罪で起訴された。論告で、検察側は「自己の主張を満足させる目的で、式の円滑な進行を妨害した」と主張。弁護側は「被告の発言は開式前で威力業務妨害にはあたらず、公訴権の乱用」と無罪を主張。
この日の中日新聞にも載っていたかどうか記憶にはありませんが、東京新聞は「中日新聞東京本社」ですから、いずれこの記事は愛知県版にも掲載されるでしょう。
記事のトーンにも見られるように、東京新聞(中日新聞)は「日の丸・君が代反対」派の教員の側に立った報道姿勢を取っています。
それにしても、あまりにも酷い記事ですね。

「クリスチャンとして、君主を讃える歌を歌うことができない」?
『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』を歌うイギリス人は、クリスチャンではないのですか。
『君が代』のピアノ伴奏をすることが「生徒に斉唱強制を促しかねない加害者の立場」になる?
伴奏をしないことが、生徒に歌わせない強力な圧力になることが解らないのでしょうか。
「カメムシが都教委に見える」、へぇ、そうですか。
まさに“反国旗・国歌ヒステリー”ですね。
そんな壊れやすい人が、教員のような「生徒を教え導く」という、強いストレスに晒される職場に良く勤めていられますね。
本当に記事の表題通り、『君が代神経症』は存在するのですか?
記事の中に、根拠となる客観的なデータを示した部分が全く無いのですが。

25日の記事は、「被告を何とか弁護したい」という意欲あふれる文章ですね。
しかし、裁判で問われるのは行動とその結果ですから、人柄の良さをどれほど強調しても関係ありません。
「学校式典での日の丸、君が代での起立、斉唱は「内心の自由」」だと、誰が決めたんですか。
只の式典の決まりごと、もっと言えば、国旗・国歌の意義を生徒に教えているのなら「当然すべきこと」と受け取られるはずのことです。

このように、国旗・国歌のことになると異常に興奮する人たちが教育界に根を張っています。
高校野球の開会式で『君が代』の独唱がありました↓が、これも「観客に『君が代』を聞くことを強制するから駄目」なんでしょうか?
◆中日新聞 3月23日
開会式で君が代、高らかに独唱 愛知・明和高の古沢加奈子さん
 開幕した選抜高校野球大会の開会式で、愛知県立明和高3年の古沢加奈子さん(18)=名古屋市西区=が「君が代」を独唱して、透明な歌声を甲子園球場に響かせた。
 「屋外もマイクもアカペラ(無伴奏)も初めて。緊張したけど、歌い終わった後にスタンドのみなさんから温かな拍手をいただけ、うれしかった」
 開会式で君が代を独唱した古沢さんは、独唱後、舞台から下りると、春風が吹き抜けたように、緊張していた表情がふっと緩み、とびっきりの笑顔を見せた。
 各校の入場行進が終わり、沸き返る球場が一瞬にして静まり返る。総立ちのスタンドの観客も圧倒される伸びやかな声の響き。十二日間の熱戦の火ぶたが切られるのを前に、舞台を清めるかのようだった。
国旗・国歌については、3月1日のエントリー3月9日のエントリーで書いているので繰り返しませんが、どうも“反国旗・国歌ヒステリー”の方々は「国」というものを否定したいようです。
「愛国心」は“軍国主義”に繋がるから駄目、「国のために」も駄目、「自分のために」はOKらしいですから。
国、政府を否定することが正義、それを「無政府主義者(アナーキスト)」と呼びます。
国家というものが無くても、政府というものが無くても、社会は存立できる。
そんな考え方の人たちです。

そんな人たちが公立学校の教職という、「国や地方の政府に雇用される公務員」として無政府主義(アナーキズム)を生徒に教え込む。
何という、矛盾に満ちた構図でしょうか。
そんな人たちは、公教育の場からは追放すべきです。
自分の子供を学校に送り出す親も、学校教育を監視し、無政府主義たちを教育現場から排除するように行動しなければなりません。
自らの子供たちの未来を守るために。
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by Hi-Zettaisha | 2006-03-26 23:29 | 教育・社会・科学