世の中のいろいろなことに対して、少しばかり主張してみます。


by Hi-Zettaisha
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どうして初等教育(小学校・幼稚園)に英語教育が要る?

前のエントリーの続きです。

そもそも、どうして小学生が英語を習わなければならないのでしょうか。
アジア諸国でやっているから、日本もやらないといけない?
「国際人にしたい」という、親のニーズがある?
もう既にやっているのだから、現状追認?
そんなものは、国の義務とする初等教育で行う理由にはなりません。




日本国が、国の責任で行う「義務教育」とは何でしょうか?
日本国民として、最低限備えておくべき基礎知識と教養を身に付けさせること。
そう、私は理解しています。
「最低限備えておくべき基礎知識と教養」とは何か、そこから出発すべきなのです。
「世間で一般的に行われているから」と、教育内容に取り込むものではないでしょう。
週休二日制にしてもそうですが、「世の中に合わせる」よりも、果たすべき目的を果たせているか、という観点で評価すべき性格のものです。

そして義務教育は、基本的に全国民に強制されます。
6割以上の保護者が「小学校で英語を教えて欲しい」と言っているとしても、残り3割以上の保護者は「小学校での英語教育なんて要らない」と考えているのです。
私は自分の子が国語力を付ける前に、英語を教えて欲しくはありません。
産経新聞の社説の結びにある言葉
国語はあらゆる心的活動の根源である。貴重な授業時間は少しでも多く国語に振り向け、子供たちが自ら教養を積み上げていける力を培うことを重視すべきではないのか。
は私の言葉でもあります。
英語でコミュニケーションを取るのはいいですが、コミュニケーションの中身がしっかりしていないのに、「意志の伝達手段」に過ぎない英語の学習を、その中身である基礎知識や教養の習得をないがしろにしてまで進める必要性は、私の中では絶対にありません。

私は、以前NHKで放送された番組で紹介された「自分の子供を“国際人”にしようと、家でも英語で教育した牧師夫婦」を覚えています。
徹底した英語教育を施された長男は、両親の望み通りに英語がペラペラになりました。
しかし日本語はと言えば、まるで英語国民の日本語です。
発想も感性も英語国民のそれであり、日本語で育った脳なら感じられる「虫の音」も、彼にはただの雑音です。
両親が彼の変調に気付いて英語教育をやめても、時すでに遅し。
彼は、日本語で育った弟や妹とのコミュニケーションにストレスを感じ、家の中で孤立してしまいました。

中国や韓国、台湾でも英語早期教育熱は高いようです。
その韓国の実例が、どこかのブログ(記事を控えておくのを忘れたので、残念ながらわかりません)に韓国・中央日報の記事の翻訳という形で載っていました。
韓国人なのに韓国語が苦手で、英語の方がコミュニケーションが楽という人。
NHKで紹介された、牧師の長男と同じです。
これは正しい姿なんでしょうか?
私にはとても“国際人”の姿には見えません。
ただ「日本人や韓国人の顔をした英語国民」を育成しただけのように感じます。

そんな訳で、私は英語の早期教育そのものに拒否反応があります。
幼稚園で英語を教えているところもあるようですが、我が子はそういうところには入れません。
私は、日本人を育てたいのですから。

他のブログでは、どんな話をされているのでしょう。
エキサイトブログを中心に、気になった文を拾ってみます。

◆『二条河原落書』「中教審、百害あって一利なし」
結局、こういう議論というのは、「英語コンプレックス」に染まったオジサンたちの発想ではないかと思うんですけど(苦笑) それから、韓国や中国、タイですでにやってる、というのが“気に入らない”とかね(苦笑)
◆『文明の終着点』英語がしゃべれる馬鹿;英語が下手な成熟した市民
国際的なセンスが欠けている人ほど、「国際化の時代だ!英語が出来ないと乗り遅れるぞ!」などと暑苦しい事を言いふらすものです。しかし、国際化とは自国のアイデンティティを失わずに「俺は俺だ」と言える意識を持つ事が重要です。焦って人の挙動にあわせようとする軽薄な人間ほど黙殺されてしまいます。
◆『ヘ音記号のささやき(音楽徒然草)』そして、芸術科目が削減される…。
芸術科目の本来の目的は「人間性の伸張」、「心のトレーニング」、「心で感じることの勉強」だと最近気づきました。何となく、芸術科目の軽視は、日本に少なからず悪影響を与えるものだと、一音楽好きには感じてなりません。(現に、何となくささくれ立った日本人の心の変調、少年犯罪などがそのことを証明しているとなんとなく感じています。)
◆『きょういくブログ』『小学校英語必修化方針まとめる:中教審外国語専門部会』
現行の小学校教員養成では英語指導を前提にしているわけではなく、また研修制度も不十分なもとで「見切り発車」しても、望ましい学習効果は得られないというおそれがあります。
◆『69 playa Diary』君はまだすべてが想像のstyle~♪
個人的には小さい頃から英語に親しんだ僕より中学生で初めて英語を習った友達の方が新鮮な驚きを維持したまま京大英文科にストレートで入り、自分はというと国語は得意科目になったものの英語自体はアレルギーになってさっぱりになってしまった悲しい過去を思い出してしまいます。
◆『フェリーチェ的幸福な生活』小学校の英語教育。私は反対だ。
私は一通りの英語は話すが、それでもいざ英語で契約となると専門家のダブルチェックは不可欠だ。一番大切なのは自分が語るべき内容、言葉を持っているかである。
◆『Why can`t we just live as one?』あちゃー
グローバル化を理由に上げてるけど、英語ができりゃそれでグローバルってわけではないでしょう。世界を相手に仕事するなら日本語をしっかり身に付けて知識を得なきゃどうしようもない。英語を勉強して世界情勢がわかりますか?それだったら小学生には国営放送の子どもニュースみるのを義務化するほうがマシなんじゃない?(笑)
◆『かりそめのひとりごと』おかしな教育
5・6年生限定とはいえ、日本語の「感覚」も不十分な小学生に英語教育を施せば、母国語である日本語が忘れ去られるように思えてなりません。
【中略】
研究の傍ら教師として教育に携わっていますが、生徒の国語力のなさに驚くことがしばしばあります(最近ではもう慣れっこになりましたが)。
特に語彙や古語の欠如が目立ち、文豪の名作はおろか現代小説を読むこともままなりません。これでは日本人としての教養が失われるだけではなく、「現代社会の教科書」としての「歴史」を知る環境として乏しくなるように思えて仕方ありません。
ここまでは全て、今回の提言に批判的な意見でしたが、自らの経験から得たことや違った観点からの見方等、私にとって有益な意見ばかりでした。

日本の英語教育そのものに対する疑問や、今回の提言を「当然!」とされる方もいらっしゃるのでご紹介。

◆『30歳からの大学留学(カナダ)』日本の英語教育にひとこと
ホームステイでカナダにやってきた日本人の中学生は、中学校の授業以外に、日本で6歳からあるいは10歳から英語を習ってきたそうです。でも、カナダに来てナマの英語を聞いても理解できない、英語で話せない、書けない。日本で5年、10年と英語教室に通っていても、全く使える英語が身につかない。私も日本で学校の授業以外に英会話教室に通ったけれど、ほんとにあれはお金の無駄だったと思ってます。英会話学校と英会話の先生の収入を助けただけ。
◆『まさかお前が・・・』早くやれ
やるなら早めに取り組んで欲しいけどね。
その一年のラグが子供の英語力に大きな影響を与える。
名古屋の南山大学の元学長(ドイツ人)が確か、「英語は(日本人の学生が)高校から学んでも、充分実用になる」と以前仰られていましたが、誰も聞く耳を持たなかったのでしょうか…。
“ゆとり教育”が賛否ありながら実行に移され、その結果が惨憺たる有様になったのを見れば、今回の提言に黙っていることはできません。
声を上げていくことが必要になるでしょう。

おまけのニュース。
◆毎日新聞 3月25日20時2分(Yahoo! News)
<寺脇文化庁部長>退職慰留され、異例の降格人事
 ゆとり教育の推進役や映画評論家として知られる寺脇研・文化庁文化部長が、4月から新設の大臣官房広報調整官に就任する。「課長級への降格」という異例の人事となるが、今月いっぱいで退職予定だったのを、小坂憲次文科相から慰留されたためという。寺脇氏は「感謝している」と語り、“異色官僚”の今後が注目される。
“ゆとり教育”を推進してきたこの方は、反省する必要など感じないそうです。
「官僚は責任を取らない」とは言いますが、子供たちを実験台にした責任は誰が取るのでしょうか?
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by Hi-Zettaisha | 2006-03-29 23:57 | 教育・社会・科学